スプーン一杯の自由を――ブロガーホームレスとある日系人の絶望――

清彦


 朝の駅がしら、通勤・通学に急ぐ人々の群れ、その一部はコンビニへと流れ込む。そんな人々がカウンターに並ぶ長蛇の列を見ていると、一人一人の焦りが感じられるようで、通勤地獄の過酷さについて想いがいたる。「毎日、すしづめの列車に揺られているので、もう慣れたものですよ」と当人たちは言うのだろうが、8時20分までにはオフィスに滑り込まなくちゃいけないという焦りと、それでも買い物をしなくちゃという焦りとがせめぎあっている様子が、彼らが眉間に寄せている皺からは見て取れるように思う。
 もっとも毎日、同じ会社に行って仕事をこなせるのは幸せである。力があるという証拠でもあり、自ら生活費を稼げるということであり、何より自立している感覚が羨ましい。そして、仕事を積み重ねる中で、少しずつ力をつけて普段とは違うことができるようになる。そんな成長っぷりは確かな形で毎日を生きていくことを勇気づけるだろう。
 ただ、そんな彼らも時々、風呂上がりにパチパチと爪切りを使う夜などに、別の道があったんじゃないかしらなどと感慨に浸ることもあるのだろう。昔組んでいたコピーバンドや県大会クラスまで出場できた部活を思いだし、その勢いで次の朝には「夢を思い出しました」と、会社の上司に辞表を突きつけたくなる時もあるかもしれない。
 一挙に社会的な拘束を断ち切る勢いと勇気は頼もしくもありえ、そんな異常な行動も、その行く末次第ではおもしろくなりそうな気配だけはする。しかし、そんな我が道を行こうとする人々の中には、迷路のような隘路を辿ってしまう人もいることを忘れたくない。自由が欲しい。しかし、どうやって自由になるのか。          
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 2005年の11月、小柄なやせぎすの中年男にあった。頭にはニットキャップを被り、こけた頬はお世辞にも健康そうとは言えない 土気色をしている。雑踏の中に紛れ込んでしまえば、誰とも分かることはない目立たない男、彼はホームレスだった。夢追い人である。

生活を差し置いてまで  
 大手ファストフード店内で向き合ったそのやせぎすの中年男は、特殊なホームレスだった。彼は、物理的な空間に住みかをもたないものの、インターネット空間には主として振る舞う「家」がある。
 名前は無宿健次郎。彼はインターネット上に自らのブログサイトをもっているのだ。「ミッドナイト・ホームレス・ブルー」(当時)という名前のそのサイトは、ホームレス問題とそれに関係するニート問題を心理学的に考察することをテーマとし、相当数の閲覧者数を誇っていた。彼は週数回のブログ更新をかかさない。
 初回にインタビューした2005年の11月の段階では、彼の収入は古本、古雑誌を集め業者に売ることなどで得られていた。得られたわずかの収入からネットカフェの費用を捻出することは、生活を切りつめることを意味している。しかし、その時も、健次郎は書き続けていた。まず、感じるのは、通常の論理でははかりしれないその行動と持続力に対する畏敬の念である。そして、同時に湧くのは、なぜ、そんなことを続けようとするの?? という疑問である。
 
分かられてない  
 しかし、実際に聞いてみると「サイトの目的は何もないですよね」と、肩すかしを食らわされる。「一応、取ってつけたようにサイトには『衝動』だとか掲載していましたが、自分で書いていてわざとらしいな、という感覚があります。(略)言ってしまえば、(略)かっこつけてるだけなんですよ。結局の所、素人のただの手慰め、遊びですよ、このサイトは」。ああ、そうだったんですか、適当なんですか、そりゃ、そうですよね~、とそこで切り上げ、にこやかに場を辞したくもなるのだろうが、僕の場合は、いや、そんなはずはない、とすぐさまに刀を翻すように質問をとばしたくなる。
 なんの価値もない遊びのために生活を切りつめる人間はいるはずはないのだ。そこで次の言葉を待ってると、健次郎は不満を吐露し始めた。「ディスプレイの向こう側に沈黙のオーディエンスの姿が、透けて見える時がありますよね。見ていると『おまえら聞いてねえな』と感じます。まあ、人が見えるだなんて単なる思いこみと言えば、そうなんですが、とにかく、書いていて、手応えが全然ないんですよね」と、シニカルに話をしてくれる。
 しかし、サイトを始めた当初は、前向きだった。自分のメッセージを「きっと、誰かが受けとってくれる」とも感じていた。だけど、「やっぱり、甘かったんでしょうね。書いてても理解されているという実感はなく、手応えも全然ない。注ぎ込んだ労力に対してペイしてるとも思えません。確かに、読者からのレスポンスもあるにはありますが、彼らについても、どこまで私の言いたいことを受けとってくれているのか、よく分かりません」。

他人勝手
 支援機関を利用して、就業しないのはなぜかと聞いてみると、身元が分かることを避けたいとのことだった。「家族関係を修復したいという気持ちがありますから。社会的に用意されたシステムをつかっちゃまずいなと。なぜかと言えば、ものすごく世間体を気にする家族で、行政や支援団体を使えば、どこから耳に入るのか分からないですからね。血のつながりってやっかいですよね、ぶった切ってしまうわけにもいかないですし、迷惑をかけるわけにはいかないんです。だから、自立は自力で何とかしなくちゃならないんです」。ネット上でボランティア達からは、支援機関を利用するように助言されるのだが、こうした世間体を気にする家族の存在が就業への障壁となっているということだった。身元が判明する可能性は少ないのだが、注意したいのは彼の認識が家族への気遣いから生じていることだ。あくまでも、自分のためではなく、他者のため。ホームレスになることはしばしば自業自得と言われたりもするわけだが、自分勝手というよりは「他人勝手」な発想が自立への道を阻んでいるように感じられた。

幻滅を生き続けて
 ただ、路上で生活をすることがどれほど辛いことなのか。それが分からないと彼がブログを続けることのありえなさ、いわゆる就業を目指さないことのありえなさを理解することはできない。
 そして、これまたありえないことに、僕はインタビューしたものの、一向に原稿がまとまらないために、彼のことはしばらく忘れていた。そして、その間、健次郎は、2005年~06年の初頭にかけて、ブログの更新を停止していた。
 厳寒。寒い冬は、小屋を持たないホームレスにとってみれば、命を失うとも限らない過酷な季節である。中には体を冷やさないように夜中中一人で歩き続ける人もいる。そんなことが頭に浮かび、再度インタビューを試みた。 
 冬の間は大変だったんじゃないですか? そう問いかけると、「そうでもないよ」。「いや、『大変だったの?』と聞かれて、『大変でした』と答える人間はそういないよ」と、答えがあった。「今夜のこともわからない。先のこと(寒い夜をどう過ごすのか)を考えると、頭おかしくなっちゃうんだよ」。「っていうかね、(略)一年目のホームレスに成り立ての頃のように、もうどうしたらいいのか分かりませんよというのはないよ」。
 一年目は冬の間に、死んでしまうことも考えた。「死については(今では)余り考えないようにしている。変な話だけど、目をつぶって大通りを歩いたり、橋から飛び降りようと考えていたりとかさ」。
 ちょっときざっぽいような、ハードボイルド小説風の語りを聞いていると、私は中学時代に読んだ作家、佐々木壌の作品群について思い出す。影のある人間描写が印象的だった。
 僕がもっとも熱心に読んだのは『エトロフ発緊急電』(新潮社 93年NHKで『エトロフ遥かなり』としてドラマ化もされた)だった。日米戦が押し迫る二時大戦下を時代背景に、日本とアメリカの諜報戦を描いた冒険小説だった。主人公はケニー斉藤という名前の日系アメリカ人二世、彼はスペイン内戦で革命に幻滅したかつての義勇兵で、帰国後、魂が抜けたように殺し屋として生活していた際、米海軍情報部により拘束される。
 「何一つ意味あるものを見ていないかのような、動きの少ない目をしている。身なりは粗末で汚れており、このままでは浮浪者にまで落ちるのに、そう時間はかからないに違いない」
 夢に幻滅をした主人公に健次郎の姿を重ねることができるように思える。彼の経歴を見ると、かつてコンピューター業界を牽引していたアスキーに籍をおいた時期がある。彼は1970年代後半に当時最新のテクノロジーだったコンピューターに将来を託そうと考えていたのだ。そして、その際には、日本で初めてのアドベンチャーゲームの開発を目論むなどパイオニア精神旺盛な夢を描いていた時期がある。しかし、「おまえ才能ないって言われ」退職をしている。夢の残骸の中で生きてるような風情が健次郎からは感じられる。
 
幻滅の理由
 さて、殺しの現場を押さえられたケニーは、本来ならば犯罪者であるが、工作員となることと引き替えに罪を見逃される。そして、日本による真珠湾攻撃の情報を入手すべく、日本へ派遣される。南京虐殺の際、日本兵により恋人をレイプされ亡くしたプロテスタント宣教師など日本への怒りをたぎらす在日工作員らと協力しながら、エトロフ島に集結し、真珠湾攻撃を行うこととなる日本海軍機動部隊の行方を追跡するというのが小説の筋である。その他にも、強制労働者として労役につかされた朝鮮人らも工作員として登場し、日本近代史の暗部を垣間見せてくれる、僕にとってはかっこうの教科書でもあった。
現在においても、大戦期における日本の大きな加害行為は問題になっている。例えば、慰安婦問題は相変わらず重要な問題であり続け、米下院議員マイケル・ホンダは2007年1月31日に提出された決議案の中で、日本政府は、日本軍が1930年代におけるアジア太平洋の植民地化と戦時占領を通して、若い女性に慰安婦(性的な奴隷)となるよう強要したことを明白に認め、謝罪することを要求している(http://www.govtrack.us/congress/billtext.xpd?bill=hr110-121)。また、歴史問題に関する関心が薄いと思われる安部政権下において、被害女性への償い事業を行っていたアジア女性基金も解散が決まっている(http://www.asahi.com/politics/update/0328/004.html)。自らを反省的に捉え返す視点、過去の歴史を省みる視線が弱まっているのを感じる。
また、基金はドメスティックバイオレンスなど、女性一般の問題をも扱う基金であったが、いじめ問題を始めとして人を隷従させようとする欲望は根深く社会一般の問題として存在し続けている。例えば、漫画作品、すえのぶふさこの『ライフ』(講談社)は現代的な形でそうした問題を描いているようにも思え、注目したい。

さて、日本への怒りという意味で、ケニーは微妙な位置にいた。
 例えば、米海軍情報部の知日派の係官キャサリンとこんなやりとりを交わす。「私見だけれど、あの国の不正と堕落を見て、あなたがさっさとそこから逃げ出すはずとは思わない。あなたの経歴を聞いたいまは、それを確信しているわ。あなたはあの国の世界制覇の野望を挫くためなら、喜んで私たちの命じる危険な任務に就くはずよ」と、大義への自発的なコミットを期待する。キャサリンはケニーがかつて夢に燃えていたことに一方的に期待をたくすばかりではなく、夢が挫かれたその心中をおもんばかる思いやりをも持ち合わせている優れた女性である。しかし、ケニーは冷淡に返す。「あまり嬉しくない誤解だな」「三十歳を越えたいまでも、それほど愚かだと思われているってことがさ」。
 そうしたケニーが抱える違和感は、大義に没入することへの拒否感だろう。例えば、1941年の米国における日本人の資産凍結(当時、米国内にいる日本人は収容所へ送られるなど不遇の状態にあった)の報を聞いて、ケニーは米国人に対し憤る。「覚えておけ。貴様らの標榜するデモクラシーなど、ただのお題目だ。圧政と搾取を糊塗するためのきれいごとのスローガンにしか過ぎない。国内では黒人やメキシコ人やアジア人をどう扱っているか。中米ではどれほど好き勝手のし放題をしているか。胸に手をあてて考えてみろ」。きれいごとですまされない現実の世界を、きれいに語ることへの拒否感が感じられる。ケニーは、結局日本へ潜入することとなり、その態度の水準においてキャサリンに共鳴していることを示すのだが、しかし、それでも全面的に肯定できる程には単純ではない。
 健次郎もまた、自らを卑下し、サイトを手慰めとして感じていたという意味で、ケニーとの共通性が伺える。だから、彼もまた自分を肯定することは容易にできず、皮肉っぽい自己否定を繰り返す。
 ただ二人の間に相違もある。健次郎にとっての夢は、家族関係の修復だった。「ずっと、(家族に)分かってもらおうとしてたのはあるよね、認めてもらおうとしてたのはあるよね」「なんか、ずっとそっち(コンピューター)方面向いてないと思ってたんだけどさ、ちょっと、驚かしてやろう、びっくりさせてやろう、褒めて褒めてなんて気持ちはあったよね」。またその一方、ケニーはもう少し広い意味での社会性を夢として描いていた。もちろん、ケニーが目指していた革命は、現代社会では空々しくも聞こえるし、余り目指したくはない夢であると思う。
 ただ、私的な関係性のみを渇望することは、高度な次元にまで昇華できる場合は別だが、必ずしもよい結果は生まないようにも感じる。というのも、一つの理由はお金にならないからである。
 山之口貘という沖縄を拠点にした詩人は、貧乏暮らしの中で、結婚を渇望するようになったが、結婚した結果「詩はとんと鳴かなくなつた」と述べている(『山之口貘と静江 詩「結婚」』朝日新聞2007年3月24日be on Saturday 愛の旅人 http://www.be.asahi.com/20070324/W21/20DNS063.html)。そして、詩の代わりに金の無心に狂奔せざるを得なくなることも付け加えている。詩は鳴かずとも、妻、静江は泣き続ける。また、大晦日に質屋を訪れるようなみじめさの中に落とし込まれる。家の中に居続ける妻は夫の浮気まで疑うまでにいたるが、結局のところ、山之口は「やっぱり、ママでなくちゃ」と、長年連れ添ったものへの愛情を確かめることは感動を誘う。
 しかし、私的な枠組みに没入するのではなく、より広い社会性を獲得する契機がなければ、夢を追おうとすることは難しいのではないだろうかとも感じてしまう。ゆえに、辞表を突きつけたくなった時には、貧乏暮らしで、連れ合いを泣かせることになるかもしれないとか、企業社会の中にも、より広い社会性やあなたの夢を開花させる道がもしかしたら、転がっているかもしれないなんてことを、まず頭に浮かべてみたい。
 必要なのは、そうした今いる場所で、なぜ、放棄したくなってしまうのかと考えることだろう。辞表を叩きつけること、それは絶望しているという意味でもある。

絶望感
 そんな極端なことしませんよ、という柔らかいあなたも絶望についてもう少し聞いてほしい。
健次郎は冬の間中歩き回り、死にたくなるような気持ちになった経験について語る。その時、私は、死にたくなるって、どういう気持ちがそうさせるんですか、と問いかけた。「自分に対する絶望感、世間に対する絶望感、一言でいえばすべてに対する絶望感」。数十秒間の間があった。そして、「何の希望もない状態なんですよ」と、言葉を足した。再び、数十秒間の間をおいて、僕は、「うん、分からなくもないんですけど」「やっぱり分からないなぁ」とつぶやいた。
 「ちょっと先のことも全然分からなくて、気分がどーっと沈み込んでくるような状態のこと」「そういう状態にあるとね、体も満足に動かせなくなるの、一時的な明らかな精神疾患なんだけどね、例えばさ、足を組んでイスに座ってるじゃん。そうすると、足が痺れてくるんだけど、足を組み替えるのもおっくうなの。痛くてもずっとそれに耐えてるの」。彼はなおも言葉を継いでくれる。
 ケニーの場合はどうだろう。1941年11月日米開戦の一月前には、機動部隊が集結する択捉島にまで至る。そして、駅亭(移動用の馬の貸し出しなども行う宿)の女主人でロシア人との混血児である岡谷ゆきに出会う。映画『アメリ』に出演していたオドレイ・トトゥのイメージ。白い肌に艶のある黒髪が似合う人なのだろうと勝手に思っている(http://www.albatros-film.com/movie/amelie/)。
しかし、大国の狭間で揺れるケニーは、自らの立場を隠してゆきと向き合う。ゆきはケニーにフレップ酒を勧めようとする。アイヌ語でコケモモを指すその酒は果実酒だから、少し甘いのだろうか。それとも、アサヒスーパードライなどのラガービールではないが、のどごしを楽しむお酒なのだろうか。都会ではないゆえにコーヒーは飲みに行けなかったと思うが、本当だったらそれ位はしていたかもしれない。そんな時間というのははケニーにとって貴重だったに違いない。だからこそ、ケニーはゆきとの交流を通して彼女に想いを寄せるまでに至る。
 ケニーは帰属感が希薄である。あるのは「不正や堕落」に対する怒りのみだった。そして、何に準じることをも拒否し、全てに対する信頼を無くしている。そして、大国の狭間で押しつぶされるような心境のうちでクライマックスが近づいてくるに従って、夢想へと浸ってゆく。例えば、以下のような夢想である。
「この先何があろうと知ったことか(略)国家同士がどれほど愚劣な戦いを始めることになろうと、将来どれほどの惨劇が起きようと、自分の知ったことではない。」(p547)。「銀色の古いクロマチック・ハモニカ。(略)自分がまだ真実や友愛と言った言葉を信じていた時代の、そのころの潰えた夢のかけらだ。
彼女を誘う。
唐突にそんな想いが浮かんだ。彼女を連れて、(略)どこか国家の支配のゆるい土地を目指す。行進曲ではなく、葦笛やハモニカの旋律こそが似合う土地へ。競争や陰謀とは無縁の、貧しくもたしかな愛のある土地へ。それはあまりにも非現実的な夢想だろうか」(p593)。
 こうした夢想は絶望があったから生じるもの。日米戦開戦前夜という時代状況と、ケニーが置かれた特殊な状況を考えれば、そんな夢想を抱いてしまう弱さは理解できる。
 しかし、それと同時に、ケニーの夢想の身勝手さも際だつ。弱さが鼻につくのである(それは前述した山之口から感じる甘えにも似ている)。ゆきはケニーの話を信じていた。ところが、結局、ゆきは本国へ暗号電を送信する姿を見てしまい、ケニーがスパイであることを知り、悲しみの声を挙げる。「あなたは人の真心をいいように利用した。好きなようにもてあそんで、陰では舌を出していたんだわ。あなたは人の善意につけこんで、親切や優しさを食べ散らかし、人の誠意を踏みにじった」。ゆきの悲しみの声は、ケニーがそれまでに受けてきた恩恵の多くと響き合うようにも感じられ、ケニーの罪の重さを思わせる。その悲しみの声は、例えば、カレーを食べ散らかそうとした余りに、横浜は関内にあったカレーミュージアムが閉店してしまったのではないかと思わせるような悲しみでもあるだろうし(http://www.hamakei.com/headline/2070/index.html)、映画「魔女の宅急便」ではないが、自業自得?な精神的不調のために「チェッ、チェッ、きどってやーんの」などと愛くるしいセリフを盛りだくさん用意してくれたかわいい猫の声を聞けなくなった主人公キキが感じた悲しみなのかもしれない(http://kiki-jiji.com/hoge/majo/diary/index.html)。
 さて、健次郎の絶望とは何だったのか、よくはわからない。「ただ、ちょっと先のことも分からなくて気分がどーっと沈み込んでくるような」時に、確かな形で他者や社会と関係を切り結びたいと願う心情なら、僕にも分かるように感じた。ただ、なんの前触れもなくそんな心情が湧いてくるのはちょっと辛い。むしろ平和な社会においては、はた迷惑でさえある。例えば、会社や学校の同僚が突然、昼休みのランチを取りながら、「一緒に駆け落ちしよう」と言いだしたらどうじゃろか? 冗談ならまだ許せるけど、本気だったらちょっとした怪談よりもヘビーな恐怖を与えてくれそうだ。
 ただ、思うのはケニーがそんな夢想を抱いたのは息苦しさが募ったからだろうということ。戦時中という時代状況を踏まえれば彼の気持ちはよくわかる。人間を敵と味方という二つの立場に切り分ける状況=戦争状態において、息苦しさは加速度的に進行する。言いたいことが言えなくなるからである。特に帰属感もへったくれもなければ、はい、さようなら、とクリル諸島を抜けて、カムチャッカ半島などに落ち着ける場所を探そうとするのも理解できる。もちろん、ケニーのような身勝手な夢想が現代において確かな形で成立してしまうのはちょっと困る。
しかし、小さな息苦しさを日々、感じている人は多いのではないだろうか。そして、ヘビーな怪談くらいに怖いのは、現在においても戦争ができる国づくりは着々と進行しているということ。例えば、時事通信社3月28日配信記事「陸自中央即応集団が発足=海外活動訓練、先遣隊-首都圏ゲリラ戦で狙撃班」によれば、海外派遣のための防衛大臣直轄の部隊が編成され、指揮下には空挺(くうてい)団(千葉県・習志野駐屯地)、対テロ専門部隊の特殊作戦群(同)、生物・化学兵器に対処する101特殊武器防護隊(埼玉県・大宮駐屯地)が置かれるという。PKO活動のみならず、イラク派遣などの日本独自の判断による危険地域への派遣も見込まれるために精鋭部隊が配備されるのだろうが、これは海外で武力衝突に参加することがかなりの角度で見込まれるという意味でもある。これはもう、戦争ができる国に向かってまっしぐらですね。都内でゲリラ戦を行うことも想定されているようで、映画『パトレイバー2』の世界が到来するのかと勘ぐってしまう(http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B00012T0I0/249-7356275-0889142?SubscriptionId=095FWAWE0MB19M34Q4R2)。
さて、あなたが感じている息苦しさの延長線上に戦争があるかもしれないなんて妄想はアホな飛躍だろうか。しかし、そうなっちゃったら、僕たちの責任でもあるわけで、未来の人々に、「あの時代の人々はバカだった、おろかだった」と散々言われてしまうのはちょっと辛い。出生率は上昇に向かい(http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kyousei_news/20061021ik01.htm)、かわいらしい赤ちゃんが街中でチラホラと目に入り、ほほえましくもある今日この頃ですが、でも、その赤ちゃんに顔向けできない社会であって欲しくないと願っております。
 ただ、そうは言っても、現実は大変で、やってられないこともあると思う。でも、少なくとも、それぞれがそれぞれの場所で、少しずつ自由を獲得していくような地道な作業が、息苦しさから解放される道なのじゃろうと、公共に向けて広報したい気分が湧いてくる。もちろん、辞表を書くのが必ずしもなしではないのだけれど……。

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